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2009年04月 アーカイブ

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マックス・エルンスト

マックス・エルンストは、20世紀のドイツ人画家・彫刻家。

ドイツのケルン近郊のブリュールに生まれ、のち、フランスに帰化している。エルンストは、日本では、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、ジョルジョ・デ・キリコらの人気の高さに比して、やや過少評価されている感があるが、ダダイズムを経ての超現実主義(シュルレアリスム)の最も代表的な画家の1人である。作風は多岐にわたり、フロッタージュ(こすり出し)、コラージュ、デカルコマニーなどの技法を駆使している。

なおルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの2人が「アンダルシアの犬」に続いて制作した映画『黄金時代』に俳優として出演している。

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ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット

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ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット 、はベルギーのシュルレアリスムの画家。

「イメージの魔術師」と呼ばれるマグリットは、20世紀美術のもっとも重要な運動の一つであるシュルレアリスムを代表する画家である。
マグリットの作品においては事物の形象はきわめて明確に表現され、筆触をほとんど残さない古典的ともいえる描法で丁寧な仕上げがほどこされている。

しかし、その画面に表現されているのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空、指の生えた靴といった不可思議なイメージであり、それらの絵に付された不可思議な題名ともども、絵の前に立つ者を戸惑わせ、考え込ませずにはおかない。

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マグリットの絵画

マグリットの絵画は、画家自身の言葉によれば、「目に見える思考」であり、世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである(デペイズマン)。

この点は、夢や無意識の世界を描き出そうとした他のシュルレアリストとは異なっている。

「言葉とイメージ」の問題を追求したマグリットの作品は、ミシェル・フーコーのような思想家にも発想源を与え、広告やグラフィックアートの分野にもその影響が見られるなど、20世紀の文化に与えた影響は大きい。

日本においても1971年の回顧展をはじめとしていままで5回開催され、宇都宮美術館、横浜美術館、豊田市美術館などに作品が収蔵されている。

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マグリットの少年時代

マグリットは1898年、ベルギー西部のレシーヌに生まれた。
一家はマグリットの生まれた翌年にはジリという町に移り、1904年シャルルロワ近郊のシャトレに移る。

マグリットは1913年の一時期シャルルロワに住んだこともあるが、1904年から1916年まで、少年時代の大部分をシャトレで過ごした。

1912年に母が原因不明の入水自殺をとげるという事件があり、これは少年マグリットにとっては当然のことながら大きな衝撃を与えた。

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マグリットの感銘

1916年ブリュッセルの美術学校に入学。
1910年代後半から1920年代前半はマグリットが画家として自分の様式を模索していた時期である。

この時期にキュビスム、未来派、ダダ、デ・ステイルなどの運動を知り、また、ピエール・ブルジョワ(詩人)、E.L.T.メセンス(詩人、画家、音楽家)らの前衛的な芸術家と交際するようになった。

マグリットは生活費を得るためにグラフィックデザインや広告ポスターなどの仕事をしつつ、抽象画や、キュビスムの影響を感じさせる作品を描いていた。
1922年には幼なじみのジョルジェット・ベルジェと結婚。彼女は多くのマグリット作品に登場する女性像のモデルとなる。

1923年(1925年とする説もある)ジョルジョ・デ・キリコの作品『愛の歌』の複製を見たマグリットは「涙を抑えることができない」ほどの感銘を受け、これがきっかけでシュルレアリスムの方向へ進む。

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理論的指導者マグリット

1926年の『迷える騎手』が最初のシュルレアリスム的作品とされている。
1927年、ブリュッセルのル・サントール画廊で初個展を行う。

以後3年間パリに滞在し、フランスのシュルレアリストたちと交流する。
しかし、マグリットはシュルレアリスム運動の理論的指導者であったアンドレ・ブルトンとはうまが合わなかったらしく、1930年ブリュッセルへ戻り、以降ベルギーを離れることはほとんどなかった。

帰国後、詩人のポール・ヌージェらとともにブリュッセルのシュルレアリスム・グループを形成し、パリのグループと一定の距離を保ちつつ創作と活動を行うことになる。

なお、マグリットが1930年から1954年まで、四半世紀を過ごしたブリュッセル市ジェット区エッセゲム通りの住居兼アトリエは、美術館として公開されている。