ピカソ ~セザンヌ的キュビズムの時代

ピカソは1908年から、「セザンヌ的キュビズムの時代」と呼ばれる時期に入ります。

ポール・セザンヌのような描き方を、アフリカ彫刻のキュビズムで描いた時代です。

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『扇子を持つ女性 (舞踏会の後)』 1908年 エルミタージュ美術館蔵

ピカソ アフリカ彫刻の時代~

ピカソはアフリカ彫刻に強い影響を受けます。

ピカソの「アフリカ彫刻の時代」とされているのは1907年から1908年。
この時期にキュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれました。

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この後、「セザンヌ的キュビズムの時代」がやってきます。1908年後半のことです。

これは、セザンヌの描き方をアフリカ彫刻のキュビズムで描いたもの、とされています。

ピカソ 青の時代~バラ色の時代

パブロ・ピカソはスペインのマラガに生まれ、主にフランスで制作活動をした画家です。

ジョルジュ・ブラックと共に、キュビスムを創ったひとりです。

生涯に約13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、

最も多く作品を創った美術家としてギネスブックに記されています。

ピカソはその作風がめまぐるしく変化した画家として有名で、それぞれの時期が「◯◯の時代」と

呼ばれています。


●青の時代(1901年-1904年)

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「青の時代」を代表するピカソ20歳の自画像です。

親友カサヘマスの自殺にショックを受け、その悲しみによって「青の時代」が始まります。

青色をベースとする暗青色を基調として、軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、芸術家などを多く描きました。


●バラ色の時代(1904年-1907年)

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この時期はフェルナンド・オリヴィエという恋人を得たことが影響し、明るい色調で主にサーカスの芸人

などをよく描いています。


ピカソと言えば・・・という広く知られているキュビスムの画風には、まだ近づいていません。

ピエール・ロワ

ピエール・ロワは、フランスのシュルレアリスム系の画家です。

ロワの作品は、写実的な画風で、お互い関係ない複数のありふれた静物を、特異な風景の中に組み合わせて描く様な作品が多く、デ・キリコの形而上絵画の直系の影響を受けているそうです。
何だそれはという感じですかね・・。
デペイズマンやトロンプ・ルイユの技法を積極的に使っています。

デ・キリコの作品と同じ様に、強い平穏さ平和や静けさを感じる事が出来ますが、色彩が、デ・キリコの作品に比べて柔らかくなっていて不安感があまりしない作品も存在します。
正確が出るんでしょうかね^^

日本では、大きく取り上げた展覧会の開催とか文献とかは特に・・・。
ただ、その知名度の割には、外国でさえも、本格的な作品集はないです・・・。

イヴ・タンギー

イヴ・タンギーは、20世紀のフランス出身の画家。

1900年、パリ生まれ。
1927年、初めての個展を実施すしますが、シュルレアリスム運動の代表であったアンドレ・ブルトンは、この個展を見て、タンギーを「もっとも純粋なシュルレアリスト」であると評価したんだけど・・。褒めてるのでしょうか。

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第二次世界大戦が起こり、ケイ・セージと一緒にアメリカにお引越し。
タンギーの作品では、昼とも夜ともいえない、どこかもわからない場所に、何ともいい様のない物体がひしめきあっていて、見る人を不安にさせますね・・・。

ポール・デルヴォー

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ポール・デルヴォーは、ベルギー・リエージュ生まれの画家です。

16世紀のマニエリスト達の女性像や、独特の夢とノスタルジーの世界を造っていますよ。
何度も表現される裸体、建物、電車、背景にはギリシャ神殿がよく出てきます。えぇ、よく出てきます。静けさの中に幻想的な世界観があります。そこに幻想画家と言われる由縁があります。

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マグリットの生涯

マグリットの生涯は、波乱や山あり谷ありとは無縁の平凡なもの・・。
ブリュッセルでは客間、寝室、食堂、台所からなる、日本式に言えば3LDKのつつましいアパートに暮らし、幼なじみの妻と生涯連れ添い、ポメラニアン犬を飼い、待ち合わせの時間には遅れずに現われ、夜10時には就寝するという、どこまでも典型的な小市民でした。
でも、その生活は憧れます。素敵です^^

残されているマグリットの写真は、常にスーツにネクタイ姿で、実際にこの服装で絵を描いていたそうで、「平凡な小市民」を意識して演じていたかもしれないですね・・。演出者ですか^^

マグリットは専用のアトリエは持たずに、台所の片隅にイーゼルを立てて制作していたのですが、制作は手際がよく、服を汚したり床に絵具をこぼしたりすることは決してなかったという・・。
何かもう完璧な人ですね。

代表作に「光の帝国」「白紙委任状」「ピレネーの城」「大家族」などがありますよ!

理論的指導者マグリット

1926年の『迷える騎手』が最初のシュルレアリスム的作品とされている。
1927年、ブリュッセルのル・サントール画廊で初個展を行う。

以後3年間パリに滞在し、フランスのシュルレアリストたちと交流する。
しかし、マグリットはシュルレアリスム運動の理論的指導者であったアンドレ・ブルトンとはうまが合わなかったらしく、1930年ブリュッセルへ戻り、以降ベルギーを離れることはほとんどなかった。

帰国後、詩人のポール・ヌージェらとともにブリュッセルのシュルレアリスム・グループを形成し、パリのグループと一定の距離を保ちつつ創作と活動を行うことになる。

なお、マグリットが1930年から1954年まで、四半世紀を過ごしたブリュッセル市ジェット区エッセゲム通りの住居兼アトリエは、美術館として公開されている。

マグリットの感銘

1916年ブリュッセルの美術学校に入学。
1910年代後半から1920年代前半はマグリットが画家として自分の様式を模索していた時期である。

この時期にキュビスム、未来派、ダダ、デ・ステイルなどの運動を知り、また、ピエール・ブルジョワ(詩人)、E.L.T.メセンス(詩人、画家、音楽家)らの前衛的な芸術家と交際するようになった。

マグリットは生活費を得るためにグラフィックデザインや広告ポスターなどの仕事をしつつ、抽象画や、キュビスムの影響を感じさせる作品を描いていた。
1922年には幼なじみのジョルジェット・ベルジェと結婚。彼女は多くのマグリット作品に登場する女性像のモデルとなる。

1923年(1925年とする説もある)ジョルジョ・デ・キリコの作品『愛の歌』の複製を見たマグリットは「涙を抑えることができない」ほどの感銘を受け、これがきっかけでシュルレアリスムの方向へ進む。

マグリットの少年時代

マグリットは1898年、ベルギー西部のレシーヌに生まれた。
一家はマグリットの生まれた翌年にはジリという町に移り、1904年シャルルロワ近郊のシャトレに移る。

マグリットは1913年の一時期シャルルロワに住んだこともあるが、1904年から1916年まで、少年時代の大部分をシャトレで過ごした。

1912年に母が原因不明の入水自殺をとげるという事件があり、これは少年マグリットにとっては当然のことながら大きな衝撃を与えた。